2011年4月3日日曜日

3月31日手記

今日は朝から千葉から藤田君が来た。朝のミーティングの時に藤田君が合流。本日一日、避難所まわりの人夫を手伝ってもらうことにした。

― 伊達ふれあいセンター ―
ここは施設が新しくなかなか環境が良かった。そのせいかインフルエンザにかかった人がみんなここに集められてくるという。そんな中、風邪薬を持っていったから大変喜ばれた。私の顔を見た一人の方がうちの社長はどこにいますか?知っていますか?と聞きに来た。何と私の事務所に避難している高橋社長の会社の作業員だった。うちにいますといったら安心していた。

― 梁川高校体育館 ―
ここもたくさんの方々がいた。ここは体制が素晴らしく自治会を結成して自治会長がしきって対応してきた。風邪薬を持ってきたと言ったら喜んで子供は何人くらいか教えてくれた。子供用のシロップと大人用の風邪薬を置いてきた。

― 梁川体育館 ―
ここもたくさんの人が避難していた。南相馬市の職員と福島県の職員が仲良く協力しあって避難民を助けていた。このチームワークのよさもめずらしいと感じた。さらに地元の梁川の方々の炊き出しも見事だった。途中で風邪薬を持ってきましたといったら、あっという間に集まってきた。皆さんすぐに飲んでおられた。「ちょうどよかった。風邪のひきはじめだったのよ」など本当に多くの皆さんから感謝された。

― はまなす館へ ―
子ども達からせがまれ、約束していた文具を持っていった。只野裕一館長から「亀岡さんが一番ここにきてくれています、表彰状もの!」だと言われました。

― 被災地へ ―
藤田君がどうしても見たいというので、被災地の一部を訪れた。「こんなにひどかったんですか」と、テレビでは福島はあまり報道されてなくこんなにひどいとは思わなかったとの事。あまりのひどさにびっくりしていた。この悲惨な災害が2度とおきないよう、更にはこの中の行方不明者を少しでも早く家族のもとへと、また手伝いに来てくれと言ったらすぐに「亀岡さん、いつでもきますから言って下さい」と言ってくれた。そしてすぐに奪還の会に入れて欲しいとのことで申し出があったので、4日5日東京で野菜の販売の手伝いの時にみんなに紹介すると約束した。彼にとって衝撃的な一日になったらしい。政治家として現場を知ることは基本だし、活動の第一歩である。藤田君ありがとう。

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