2011年7月9日土曜日

IAEA 〜チェルノブイリ原発での活動報告

 Vienna International Center

ウィーン国際センターの前で
ようやくIAEAの本部に到着
 案内して下さった外務省在ウィーン国際機関日本政府代表部の西前裕司一等書記官とIAEAの安全専門官の森田深氏と細谷通夫氏と本部前で

 IAEAの建物の前で



 在ウィーン国際機関日本政府代表部 村田真一 一等書記官も会議に参加する。

 IAEA事故、緊急センター長代行のエレーナ、ブグロヴァさんの説明を聞く。エレーナさんは実際のトップ。センター長不在の為、エレーナさんが実質の責任者。今回の福島原発事故の時も頑張って24時間体制で対応して下さった専門家。

 エレーナさんは旧ソ連時代の事故調査委員会のメンバーで今回もセンター長が不在の為、指揮をとった。事故が起こった時に情報の収集と配布が大切。今回もすぐに各国と定められたコンタクトをとった。173カ国の416ヶ所のコンタクトポイント及び連絡網がある。311日も9時間のズレはあったが1時間以内にIECが設置された。さらに1時間毎に日本の保安院と連絡を取り合ったとのこと。それらの情報をマスコミに発表したとのこと。


 このエレーナさんが本当に今回の日本の為に頑張ってくれたことがよくわかった。さらに何でもお手伝いをして下さると言って下さった。

 私の質問に根気よく丁寧に答えて下さった。原則的な考え方、さらに自分達の立場も明確に説明して下さった。情報の収集と配布、さらに監視を中心としていて、ここが標準値や基準値を作る場所ではないと明快に説明して下さった。

 その次にIAEA原子力施設安全部国際地震安全センター、マリッドサマダンさんの話を聞くことができた。サマダンさんは今回の日本への調査団の一員として活動していた。

説明の中で福島のおかれている状況は厳しい。悲劇的であった。そんな中で東電が処理についてのロードマップを作成しているのはいい事だ。只、私は30キロ圏内には行かなかった。との事

このサマダンさんは米国で原子力の仕事に従事していた。そして経験からいろいろな事を説明して下さった。しかし、私達の機関はその国からの要請がなければ動けないとの事。これからも日本からの要請があればどんどん協力していきたいとの事。


 .資料も準備して下さって本当に親切に色々な話をして下さった。只、自らは動けないと言う事と標準値をつくる所ではないという他の人と同じ認識を示しておられた。

 次に放射線輸送廃棄安全部長のピル、スー、ハーンさんのお話を聞くことができた。さらに専門家のプロールゲハルト氏、とレナテ、ツゥールヴェンスキーさんの専門的な話も聞くことができた。

 ここではさらに技術協力、支援を担当しているマー氏(中国人)の方からも説明を受けることができた。ここでいう標準値、基準値とはICRPの数値が基準になっているとのこと。IAEAは定めるところではないという事だった。

 責任者であるピル、スー、ハーンさん韓国人だ

 レナテ、ツゥールヴェンスキーさん

 プロールゲハルト氏

 中国人のマー氏、金沢大学で学んだとの事

 次にUNSCER(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)のマルコム、クリックG事務局書記のお話を聞くことができた。ここは、放射線が人間及び生物に与える影響力の調査を目的として、140人の科学者が集まる所。専門家の情報を集めてまとめあげるのが仕事。

 ここでの話の中で研究は広島、長崎の生存者のデータからすべて放射線影響協会に集めて研究されている。放射線からの防護を目的としているとの事。

続きは後日更新させて頂きます。

2011年6月30日木曜日

IAEA活動報告と今後

新聞での記事をみて応援メールを下さった方もいました。本当に有り難うございました。亀岡はIAEAでの活動を終え、明日はチェルノブイリに行って参ります。写真を添えた細かい報告は戻ってからさせて頂きます。

2011年6月20日月曜日

6月19日「亀岡の被災地報告とチャリティーコンサート」


1.6/19 1500より「亀岡の被災地報告とチャリティーコンサート」を福島市音楽堂にて行った。


 2.開会前からたくさんの方々が来場

 3.政塾のみんなが来場者にコーヒーを振る舞う。

 4.来場者は1000人を越えた。皆様暑い中ご来場いただきまして本当に有難うございました。

 5.オープニングで素敵な音色を奏でた相馬市出身のアルパ奏者、志賀昭裕さん

 6.司会を務めた、長女 亀岡さやか

 7.亀岡が開会にあたっての御礼とごあいさつ。

 8.3月11日に我々を襲った悲劇から今日までの色々な思いを打ち明けた。

 9.震災後800名を避難所で受け入れ、共に生活してきた。その思いを語る 相馬市社会福祉協議会の只野裕一会長

 10.只野さんから炊き出しをはじめ、たくさんのことでお世話になった皆さんへ御礼の言葉、そして代表して3名に感謝状贈呈。写真は、たくさんの野菜を提供して下さった、鈴商グリーンの鈴木正志社長

 11.たくさんのどら焼きを被災者へ届けてくれた松本製菓の松本孝夫社長

 11.たくさんのどら焼きを被災者へ届けてくれた松本製菓の松本孝夫社長

 13.ご自身が被災されているのにもかかわらず、遺体捜索活動を2ヶ月間休みなく続けた南相馬市消防団を紹介

 14.20km圏内への捜索活動に入った水原消防団有志へ南相馬市消防団より感謝状の贈呈

 15.南相馬市消防団 佐藤光考団長が思いを語る

 16.消防団とともに汗をかき続けた中川庄一市議

 17.チャリティーコンサート第1部 アルパ奏者の志賀昭裕さんとピアニストの松本容子さん

 18.この日、日中福島は30度を超えた。休憩時間では政塾のアイスコーヒーが大盛況

 19.コンサート第2部がはじまり、箏 榎戸二幸さん、ヴァイオリン 島岡万理子さん、ソプラノ歌手後藤ちしをさんの3方が美しいハーモニーで会場を包み込んだ。

 20.亀岡より、相馬野馬追祭りの小高中郷騎馬隊 本田信夫隊長を紹介。野馬追騎馬隊の後援会を結成することに会場の賛同を得た。

 21.栃木県下野ライオンズの河野啓太会長、亀岡の兄の小倉康延をはじめ会員の皆様が来場して下さり、福島を盛り上げたいと、野馬追祭の支援金を寄付して下さった。

 22.横山元栄南相馬市市議より御礼のご挨拶。

 23.抽選会を行い、亀岡の早稲田の後輩、現役プロ野球選手から集まったサインボールをプレゼント。そして、アルパの志賀さんの奏でるメロディでお見送り。

 24.次女まなみが出口でお見送り

 25.亀岡も見送る「とっても良かった」といって下さった。


謝礼の会 感謝を込めて

東日本大震災被災者による感謝会
事務所の前の野田町集会所で、東日本大震災の被災者による「避難所御礼の会」がにぎやかに行われました。
野田町集会所は町会長さん方のご厚意によつて、二月十四日から大震災を逃れて来られた南相馬市の鹿島、原町などを中心とした住民十六世帯八十七名の方々の避難所になっていました。
この間、地域のご婦人方には、週に三回沢山の差し入れをして下さつたり、花見時には町会の親睦会の方々による花見の会が持たれ、豚汁や焼きそばなどで愉しい時を過ごして頂きました。ある時には集会所の前でカレーライスを作っている時に、通りかかつた清水中学校の野球部の生徒さんと思われる生徒達が手伝ってくれて、数日後には野菜を沢山届けてくれました。又、近くのマンションの方々には飲料水の世話や風呂を提供して頂いた他、毎日沢山の方々から生活必需品や食料品の差し入れがあるなど、地域ぐるみのもてなしでした。
避難してこられた方々の中には、家族を亡くされた方や自宅を津波で流された方々も居られて悲しんで居られたとの事でしたが、地域の皆さん方の手厚いもてなしや、子供達も三河台小学校、岳陽中学校、西高等学校、聖母学院高校等にお世話になつて学習をする事が出来少しずつ落ち着きも出てきたとの事でした。
三ヶ月も過ぎた今、避難してこられた方々の一部は帰宅されたり、別な所へ住まれる様になったりで、今日現在住んでおられる方々も三世帯十五名と少なくなりました。来る二十五日にはそれぞれ故郷へ帰られる事になり、現在住んで居られる方々を中心に、お世話になった地域の方々に感謝の会を持ちたいという事になりました。
会場の集会所には今まで陰になり日向になりご協力頂いた町会長さん方始め婦人会の方々、体育協会の方々など地域の団体及び個人の方々が沢山ご招待頂き、被災者の代表者による感謝の言葉や記念品の贈呈があり、町会長の代表からは激励の言葉が贈られました。
又、会場には、当日、音楽堂にてチヤリティーコンサートを開いた奏者達も駆けつけて下さり、誰もが知っている曲の数々の演奏に声を出して歌い、会は盛り上がりました。
最後にはみんなで又会いましょうの挨拶を交わし、手を取り合つて愉しい感謝の会を閉じました。
被災者の皆様方のこれからのご多幸をお祈り申し上げます。















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