2011年4月14日木曜日

4月14日 船田先生、作新学院、早稲田野球部OBの皆へ感謝

船田元前衆議院議員・作新学院理事長が学校のバスで救援物資をたくさん積んで来て下さった。私の後輩である作新学院高校の野球部員のメッセージ付きだ。野球をやりながらも少しは社会現象の中で起こっている現実に少しでも触れるという事は素晴らしいことだと思う。あらためて船田先生に感謝した。
相馬市の市役所に最初に伺った。前々日から「何がいいですか?何が喜ばれますか?」と再三にわたり問い合わせがあり、今一番頑張っている南相馬市の職員組合の方々に届けたら大変喜んで下さった。若い職員が四人で取りに来て、野菜や果実は大変喜んで下さった。船田先生及び関係者は持って来てよかったと言って下さった。その後、被災地を見ていただいた。あまりにもの津波の凄さにびっくりしていた。何もない、流された後の被災地を見て、「報道よりもひどい」と言っておられた。その後南相馬から相馬、新地へと移動した。新地の加藤町長にいちごの差し入れをして、屋上から海岸を見て、説明を受け、さらに電車がくの字に曲がっている状況を見て、「こんなに凄かったんですか」と絶句していた。帰りに国見インターまで送っていったら、「本当に勉強になりました。ありがとうございました。」と深々と頭を下げられたのにはびっくりしました。私から御礼の言葉を述べるべきなのに逆になってしまった。我が事務所にも差し入れをいただき、お見舞いまでいただきましたことにあらためて心から感謝を申し上げた。こういう善意によって私達のボランティア活動は支えられている。みんなの為に働くことができるのは、まさに協力者の多くの皆さんのおかげで私達が働けるのだ。本当に船田先生、そして母校の関係者の皆さん、ありがとうございました。

  さらに…
早稲田大学の野球部のOB会、稲門会の本村会長から手紙が届きました。丁寧なお見舞いの挨拶とともにたくさんの見舞金をいただいた。あらためてOBの皆様方に心から感謝を申し上げたい。早稲田の先輩、後輩の皆さん、ありがとうございます。

2011年4月13日水曜日

4月13日 町村先生の力強い行動力

13日の町村先生の動きは早かった。飯舘の混乱状況を何とか救済すべく牛2000頭以上を国が責任を持つように農水省の畜産部長へ連絡し、さらに飯舘のこれからの再建計画に国の力をとの要請にできる限り協力をすることを約束する。
南相馬市では被災地をしっかり見て、やはり悲惨な状況を見て唖然として、百聞は一見にしかず、現場を見なければ何もわからないことを実感されておられた。その後すぐ新地へ向かい、新地町の加藤町長に町村牧場のヨーグルトとクッキーを職員の皆様へと差し入れする。さらに庁舎の屋上から海辺のひどい状況を見て悲しみながらも再建は国がやらねばできないと結論付けた。加藤町長ともガッチリ固い握手を交わし、最大限努力すると約束してくれた。
次に相馬市長のところへ訪問し、やはりヨーグルトとクッキーをプレゼントし、立谷市長からの要請をしっかり聞いていかれた。
本当にありがとうございました。心から感謝あるのみ。

2011年4月12日火曜日

4月12日 突然の計画避難の国からの発表

飯舘村での一日はわたわたした一日になった。
突然の計画避難の国からの発表に村民がどう対応していいかわからず混乱していた。そのやり場のない怒りが村長にむけられていた。
この光景を見ていておかしいと感じた。本来なら国が記者会見をして発表する前に飯舘村に来て、「こういう状態で、こんな影響が出る、こんな被災が出る、だから避難して欲しい」と説明に来て、情報を明らかにしてはじめて「それでは国は何をしてくれるのか」という次の段階に入っていく。何もなしにいきなり発表されたのではたまったものではない。今の政権の一番悪いところ、上から目線だ。我々は助けてやる人だ、みたいなやり方はおかしい。過去にこんな事は一度もなかった。もっともっと国民である村民は怒るべきだ。怒りを国にぶつけるべきだ。
本来、地元の状況も知らずに計画したり、決定するのはおかしい。きちんと責任者が、指揮権をもった決定権者が現場に来て状況を知るべきだ。知った上でどうするか決めるのが当たり前の手法だし、理解も得られる。今のやり方は我々が助けてやる人だから従え。しかし保障は、自分達は考えていないと言う事を明確に打ち出している。おかしい。だいたい原発は人災だ。地震という自然災害の創産物とはいえ、国が責任を持つべき問題だ。他人事みたいなやり方は国民を守るべき政府とは絶対に言えない。しかも東電の責任だと言ってみたり、上から目線で何とかしろとか、全てが勘違いからきている。まさに菅政権の勘違いだ。本来なら政府が謝り、土下座して許しをこい、全て責任を持つというべき原発問題を一度政権をとったら何をやってもいいのだ、我々は偉い人だみたいな勘違いは早くやめて欲しい。しかも自分達でできないのなら早く謝って退陣すべきである。能力のない人達がしがみついていつまでもやろうとするから多くの国民が怒り、混乱を引き起こすのである。国民を守るべき国家の基本的責任のひとつもとれない政府ならいらない。必要ない。それぐらい今日の飯舘村の問題は村民をなめている。国民を愚弄している。早く辞めて欲しい。そして現場にいる、直接話を聞いている我々に少し権限を与えて欲しいと強く感じた一日になった。

2011年4月11日月曜日

― 水原消防団の男気と勇気に感謝 ―

水原消防団の男気と勇気に感謝
4月9日、今日は朝から捜索に入った。今日は特別に福島市消防団第31分団の水原消防団の有志の皆様が参加して下さった。奪還の会の時に㈱加藤組の加藤修一社長が送り迎えをして下さった。その時に一緒に活動に参加して下さって、その報告を帰ってから消防団の仲間に伝えてくださった。そしてあらたにみんなで行こうと申し出て下さった。こんなに素晴らしいことはない。遺体捜索のみならず放射能で被ばくする恐れがある地区に行っていただけるという。誰でも口に出して言うことができるが、実行する決断をすることはできない。私は何人もの、その時になってしりごみする人達を見てきた。それだけに水原消防団の皆様には頭が下がった。面とむかって御礼を言うと、今までのことが思い出され涙が出てしまうので、なるべくみんなを見ないようにして話をさせていただいた。少し失礼になったかもしれない。でも、それだけ嬉しかった。多分中川庄一市議も相当嬉しかったのだろう。


さらに感謝したいこと
私は南相馬市の佐藤光孝消防団長に本当に心から又感謝させていただいた。朝からの雨で警察、消防本部ともに今日は捜索中止を決断したところへ私達が到着した。普段なら断られるところである。現に市役所の正面で高野光二前南相馬市議会議長とお会いしたら、「今日は中止だ。やってもらって迷惑だ。」と言われてしまった。ところが原町消防団長、副団長ともに迎え入れてくれて、私達の案内をしますと言って下さった。本当にありがたかった。佐藤光孝団長、伏見順栄副団長、山見重信副団長同行のもと、まず最初に原町区泉地区内の捜索を行った。本来なら南相馬市の消防団が今日やるはずのところだったと説明を受け、団長、副団長ともに一緒に活動して下さった。団長、副団長の男気に感謝した。


1人を家族のもとへ
午後から20km圏内の小沢地区内に案内いただいた。本当に家の形も何も残っていなかった。まさにガレキの山々で海岸は堤防が決壊して惨々たる状況であった。
みんな黙々と捜索した。誰もが黙ってひたすらガレキの中を捜しまくった。私がふと日記やひな人形などに目が行くようになって、ふと海水のたまっているところに目を移したら、直感的に男性の遺体だとなぜか感じてしまった。近寄ってみたら多分、間違いないと思いみんなを集めた。かなり深い水たまりだったので慎重にやらなければ逆に落ちてしまう。でもここで水原消防団の素晴らしさを見せつけられた。ガレキの中から橋になる角材を見つけ、さらにロープを集めてきて橋を作り、さらに重い遺体にロープをかけ、みんなで力を合わせて引き上げた。その手際の良さ、さらには団結力、心から感心させられた。
「これで家族のもとに帰せる」この思いはひとつになった。心から心から感謝したい。この水原消防団の協力がなかったらできなかったことだ。この素晴らしい活動と勇気をわけてくれた第31分団茂木賢一郎分団長はじめ団員の皆様方にあらためて“感謝”。
ありがとうございました。


 《福島市消防団第31分団水原分団有志》茂木 賢一郎分団長
村上 芳夫 加藤 修一 茂木
重夫 山澤 義昭 武田 信敏
茂木  実 菅野 昌彦 茂木 善勝
安齋 昭通 丹野 喜弘 茂木 安久
丹野 一男 鈴木 重勝









鉢村氏の勇気ある行動に感謝
元日銀の福島市店長の鉢村氏が突然ベトナムから応援に来て下さった。そして49日の捜索隊に参加して下さった。一人一人と握手をしながら発見時には誰よりも一生懸命に何とかしようと頑張って下さった。只、手なれた消防団と違い若干邪魔をしているようにも見えた。それは冗談として、この勇気ある活動に心から感謝を申し上げたい。鉢村氏は「この現実を多くの方々に伝えたい。本部に、多くの皆様方にこの現実を伝え、少しでもお役に立ちたい」と言い続けて下さった。あらためて感謝申し上げるとともに御礼申し上げます。
「ありがとうございました。」

皆さんに考えて欲しいこと
マスコミが大々的に取り上げるところ、頑張っていても全然取り上げられない人々。この不公平差をあらためて感じる。さらにきれいな作業着を着て文句を言う人、汚い作業着を着て黙々と働く人、どちらを評価し、どちらを大切にすべきか考えて欲しい。いろいろな政治家がいる。何をしていいかわからない「能力のない人」、只目立つところ、目立つことだけをやる「政治屋」でもそんな中でひたすら黙々、今なすべき事を決め、実際に活動している人、そんな人を評価してあげられる日本になって欲しいし、頑張る人がしっかり評価される社会をつくりあげるべき時にきていると思う。その反面どんなに忙しくても冷静に判断し、どんなに忙しくても丁寧に人の話を聞く器を持った役人もいる。私は後者の方々にトップになってもらいたいと思う。組織論よりも人として判断ができる人が必要だ!!

2011年4月7日木曜日

4月5日

4月5日は、久しぶりに背広を着た。昨日の農産品販売から帰ってきて、福島共同高等職業訓練校の入学式に出席した。3人の若者に、今回の被害の状況と、誰にも負けない技術を身につけることが何より自信を持って生きれること、その為にここでの3年間を大切にして欲しいと説明する。
終わらないうちに、あべ俊子先生から到着したとのTELが入る。すぐに戻って、福島南体育館へ案内し、避難している方々の実情を聞いていただく。
その間に私は、久しぶりにロータリーに出席し会員スピーチを行う。災害発生から今日までの感じた事、自分がやってきたことの一部を話させていただいた。久しぶりに半日、背広でいた。その後すぐに相馬にむかう。
八幡小学校(相馬市)で佐藤教頭先生の話を聞いた。6日は、文部科学委員会で馳浩先生が質問をするという。その為の現状把握は大切と真剣に質問し、対策を考えていた。さらに、北村茂男先生、あべ俊子先生、永岡桂子先生も、校長先生・教頭先生ともに質問し、しっかり小学校のことを考えて下さった。
相馬市長を訪問
救援物資を増量してから、現状を聞かせていただいた。現時点で相馬市のかかえている問題や、これからの復興に向けての考え方などしっかり聞いて協力することを約束する。
さらに物資を、頑張っている消防団へ(南相馬市
4tトラック2台の新鮮な野菜と食料を消防団に届けた。市には救援物資が沢山届くが、災害から1日も休まず頑張っている消防団には何も無くひたすら頑張っている姿を亀岡は見てきた。遺体捜索にも亀岡が激励してきたので、消防団の活動の素晴らしさ、縁の下の力持ち、まさに現在の南相馬市を実質支えてくれている。この努力に何かお手伝いをしたいと同期の北村先生・永岡先生にお願いし、さらに、あべ先生・馳先生が段取りして下さって4tトラック2台分の救援物資になった。長沢団長あいよって私達にとって新鮮な野菜はダイヤモンドより上のものであると涙を流さんばかりに喜んでくれた。団員らはチョコレート菓子があがってくるたびに、俺これが好きだったんだと大声をあげていた。本当に皆さんありがとう。そしてご苦労様。
さらに今日、私に農産物の販売状況が逐一報告が入った。
河村建夫先生が谷垣総裁とともにたくさん買いに来て下さった。さらにこの2日間で本当に多くの皆さんが買いに来てくれたり又はボランティアで手伝ってくれた。
 この企画を最初にしてくれた㈱フォーブスの井本一夫先輩、さらには会場設営から自らの秘書団を全部二日間出して応援して下さった松本文明先生、さらには二日間大きな声で苺を売ってくれた山際大志郎先生、力仕事が得意な藤田幹雄先生、宮下一郎先生、松本洋平先生、渡辺博道先生とともにJA市川の小原勉組合長はじめ5人の皆様方、各先生方が本当に頑張ってくれた。又東京事務所で働き続けてくれている石橋利香さんと娘のあゆみさん、石橋さんの親戚の小林みずきさん、達山会の大野靖明さん、八光硝子の藤原社長、亀田智之君さらに亀岡の同級生の中原孝子さんと姪子の靖子さん、そして葉山多恵子さんと娘さん、葉山さんの友達、早大野球部の後輩の小宮山悟君(元ロッテ投手)、斎藤慎太郎君、さらには達山会でずっとお手伝いしてくれている関電工の奥秋さん、大塚拓君の秘書など数えきれない多くの皆さんに手伝いをしていただいたそのおかげで、初日の利益53,065円、二日目の利益が72,760円と素晴らしい利益が出た。これは私の独断で生産者の皆さんに還元することに決め、買い取り価格を倍くらいにさせていただいた。もともと生産者の為に元気をつける為にこの販売を企画したので、東京の人達の本当にあたたかい心と、福島の野菜・果樹のおいしさを知っていただいたことも含め、感謝の気持ちを込めて生産者に還元したい。そのことを事後承諾で理解していただければと思います。皆さん本当にありがとうございました。心から心から感謝申し上げます。募金の集計はこれからさせていただきます。

2011年4月5日火曜日

4月4日

朝4時30分、株式会社の大宮正広社長から、食材の提供物資を積込んで東京に向けて出発した。トラック含め2台、亀岡よしたみ・尾形武団長・尾形尚武・小島良太・岡崎雄旭(亀岡事務所)が乗り込んで上京した。
東京の会場について、まずびっくりしたのは、ボランティアの皆さんが集まってくれていたこと。こんなに多くのボランティアの皆さんがいてくれると心強い。さらにびっくりしたのは並べる前から人が集まってきて早く買いたいと言い出したこと。はたして売れるかどうか心配だっただけに意外であった。販売開始と同時に人だかりができた。あれよあれよと言う間に、お昼前にはほとんどが完売。福島の農産品の美味しさ、安全であることを消費者の皆さんが知っている事に改めて感謝した。こんなにも早く売り切れるとは思ってもみなかった。そして、奪還の会のメンバーが、またしっかり手伝いにきてくれた。さらに日頃から私がお世話になっている、多くの方が沢山買いにきてくれた。
「ボランティアはさらに多くの方々の協力によりなりたっている。」ということが改めて歓心させられた日であった。私達が頑張れるボランティアとは、そのボランティアを支えるさらに多くの協力者によって実行できるという事を感じる事ができた。
私たちがありがとうと言われるのではなく、私達がありがとうと言い続けなければならない立場であることを痛感させられた。多くの皆さん、本当にありがとうございました。

2011年4月3日日曜日

【告知】福島県特産品販売チャリティーイベント

【告知】
4月4日(月)5日(火)11~18時に有楽町にある交通会館1階と丸の内の東京国際フォーラム中庭で、福島県の青果品を中心とした特産品の販売チャリティーイベントを行います。
ぜひ皆さんにお越しいただき、福島県の特産物を手にとって、そして語らっていただき、もっと多くの方々に安全、安心であることを知ってほしいです。

自由民主党のサイトでも告知されております。
http://www.jimin.jp/index.html

日時:4月4日(月)~5日(火) 11時~18時
場所:東京国際フォーラム 中庭
   東京交通会館 1階


より大きな地図で 4月4日、5日福島県特産品チャリティーイベント を表示

3月31日手記

今日は朝から千葉から藤田君が来た。朝のミーティングの時に藤田君が合流。本日一日、避難所まわりの人夫を手伝ってもらうことにした。

― 伊達ふれあいセンター ―
ここは施設が新しくなかなか環境が良かった。そのせいかインフルエンザにかかった人がみんなここに集められてくるという。そんな中、風邪薬を持っていったから大変喜ばれた。私の顔を見た一人の方がうちの社長はどこにいますか?知っていますか?と聞きに来た。何と私の事務所に避難している高橋社長の会社の作業員だった。うちにいますといったら安心していた。

― 梁川高校体育館 ―
ここもたくさんの方々がいた。ここは体制が素晴らしく自治会を結成して自治会長がしきって対応してきた。風邪薬を持ってきたと言ったら喜んで子供は何人くらいか教えてくれた。子供用のシロップと大人用の風邪薬を置いてきた。

― 梁川体育館 ―
ここもたくさんの人が避難していた。南相馬市の職員と福島県の職員が仲良く協力しあって避難民を助けていた。このチームワークのよさもめずらしいと感じた。さらに地元の梁川の方々の炊き出しも見事だった。途中で風邪薬を持ってきましたといったら、あっという間に集まってきた。皆さんすぐに飲んでおられた。「ちょうどよかった。風邪のひきはじめだったのよ」など本当に多くの皆さんから感謝された。

― はまなす館へ ―
子ども達からせがまれ、約束していた文具を持っていった。只野裕一館長から「亀岡さんが一番ここにきてくれています、表彰状もの!」だと言われました。

― 被災地へ ―
藤田君がどうしても見たいというので、被災地の一部を訪れた。「こんなにひどかったんですか」と、テレビでは福島はあまり報道されてなくこんなにひどいとは思わなかったとの事。あまりのひどさにびっくりしていた。この悲惨な災害が2度とおきないよう、更にはこの中の行方不明者を少しでも早く家族のもとへと、また手伝いに来てくれと言ったらすぐに「亀岡さん、いつでもきますから言って下さい」と言ってくれた。そしてすぐに奪還の会に入れて欲しいとのことで申し出があったので、4日5日東京で野菜の販売の手伝いの時にみんなに紹介すると約束した。彼にとって衝撃的な一日になったらしい。政治家として現場を知ることは基本だし、活動の第一歩である。藤田君ありがとう。

― 風 評 被 害 の こ わ さ!! ―

―  さ!! ―
3月30日
今日は、最初に福島市中央卸売市場に伺った。「はやく市場に来て欲しい」との要請があり行ってみれば何と荷が山積みされていた。
福島と書いてあるだけで送り返されてきたとの事。放射能濃度がまったく問題のない伊達や会津のものまで、福島とかいてある返品されてきた。まさに、風評被害のおそろしさだ。
市場の皆さんは下をむいてがっくりしていた。「何とかして下さい。」と頼まれた。生産者の事を考えれば何とかしなければならない。
 すぐに早大の先輩である株式会社フォーブスの井本一夫会長に相談する。井本会長もすぐに「何とかしましょう。何でも言ってください。」と言って下さった。「それでは、何とか東京で売ることは出来ませんか?」と依頼すると、すぐに東京都にかけあってくださった。有楽町の交通会館前はすぐにOKがでたが、東京国際フォーラムのほうは難しいとの答え。困った時の松本頼みと、すぐに松本文明先生にTELを入れた。さすが松本先生、すぐにOKをとりつけてくれた。さすがだ。
又、市場の中で塚本青果株式会社の佐藤敏雄社長に、避難所からの希望でさっぱりした柑橘類が欲しいと言われたので、グレープフルーツを5箱買うと言ったら、「よし、わかった。」と言ってさらに5箱、「これは私から」と言って10箱にして下さった。 やはり男気があるなぁとあらためて感謝した。○○にばかりこだわる一部の役人とは違うと感じた。
―   ―
相馬市の八幡小学校へ伺った。薬などの物資を持って行ったのだが、ビックリした。
昼は、トルコ料理の料理人が来て美味しいトルコ料理。夜は銀座のシェフが来て作ってくれると言う。避難所のあまったおにぎりを食べている私達にとってはすごくうらやましい話であった。ここは、二人の教頭先生が交代で寝泊りし、先生方全員をリードして避難民を助けてきた。多分、その人間関係で素晴らしい料理が配られているだろうと感心した。
先生方のチームワークのよさに感心させられた避難所であった。
―   ―
「はまなす館ばっかり」「なんで向陽中にはこないの」とクレームがついたので、今日は相馬市立向陽中学校へ300人のカレーの炊き出しにきた。
ここも、たくましい先生方がチームワークよく避難者の皆さんを、しっかりサポートしていた。「何が足りませんか?」と聞いたら「プルーン」とのこと、これもすぐに井本先輩にTELして準備していただいた。
避難所の中の1人1人に様子を聞いて歩くと、皆さんが避難所の素晴らしい対応に感謝していた。
今日は、亀岡が皆さんにカレーを作りますと言ったら、拍手をされ「楽しみにしてます」と言われた。
この日、私は後援者のお通夜にむかう為、カレーが完成したのを見届けて中座した。
  ・・・・・安心して中座したのは?・・・・・・・
今日は、はじめて息子の偉一(よしかず)が炊き出しに参加した。事務所の尾形パパをはじめ菊ちゃんやみんなが偉一をしっかり使ってくれた。それを見て安心して移動したのだ。
後から、炊き出しが終わった時、皆さんにしっかり適切な挨拶をしていたと聞いて安心した。
― 炊き出しの裏方
いつも炊き出しが決まるのは突然である。しかし、結果的に毎日になってしまっている。前日の夜遅く鈴商グリーンの鈴木正志社長に申し訳ないとTELを入れる。いつも一発返事でわかりましたと準備してくれる。皆さんに助けられてのボランティア、まさに感謝の連続である。
― 栃木の子ども達からの便り―
私が相馬に行っている間に姉が栃木の幼稚園の子ども達からの励ましの手紙と物資を持ってきてくれた。それをすぐに相馬の子ども達に届けたら、臨時学級を開いていた教頭先生がすぐに一人一人栃木の園児からですと言って配って下さった。手紙も手渡して下さった。
子ども達の心と心が支援をつないだ一時であった。栃木の園児の皆さんありがとう。
睦美姉さんありがとう。

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